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一
吾輩は猫である。
名前はまだ無い。
どこで生れたかとんと見当がつかぬ。
何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。
吾輩はここで始めて人間というものを見た。
しかもあとで聞くとそれは書生という人間中で一番獰悪な種族であったそうだ。
この書生というのは時々我々を捕えて煮て食うという話である。
しかしその当時は何という考もなかったから別段恐しいとも思わなかった。
ただ彼の掌に載せられてスーと持ち上げられた時何だかフワフワした感じがあったばかりである。
掌の上で少し落ちついて書生の顔を見たのがいわゆる人間というものの見始であろう。
この時妙なものだと思った感じが今でも残っている。
第一毛をもって装飾されべきはずの顔がつるつるしてまるで薬缶だ。
その後猫にもだいぶ逢ったがこんな片輪には一度も出会わした事がない。
のみならず顔の真中があまりに突起している。
そうしてその穴の中から時々ぷうぷうと煙を吹く。
どうも咽せぽくて実に弱った。
これが人間の飲む煙草というものである事はようやくこの頃知った。
この書生の掌の裏でしばらくはよい心持に坐っておったが、しばらくすると非常な速力で運転し始めた。
書生が動くのか自分だけが動くのか分らないが無暗に眼が廻る。
胸が悪くなる。
到底助からないと思っていると、どさりと音がして眼から火が出た。
それまでは記憶しているがあとは何の事やらいくら考え出そうとしても分らない。
ふと気が付いて見ると書生はいない。
たくさんおった兄弟が一疋も見えぬ。
肝心の母親さえ姿を隠してしまった。
その上今までの所とは違って無暗に明るい。
眼を明いていられぬくらいだ。
はてな何でも容子がおかしいと、のそのそ這い出して見ると非常に痛い。
吾輩は藁の上から急に笹原の中へ棄てられたのである。
ようやくの思いで笹原を這い出すと向うに大きな池がある。
吾輩は池の前に坐ってどうしたらよかろうと考えて見た。
別にこれという分別も出ない。
しばらくして泣いたら書生がまた迎に来てくれるかと考え付いた。
ニャー、ニャーと試みにやって見たが誰も来ない。
そのうち池の上をさらさらと風が渡って日が暮れかかる。
腹が非常に減って来た。
泣きたくても声が出ない。
仕方がない、何でもよいから食物のある所まであるこうと決心をしてそろりそろりと池を左りに廻り始めた。
どうも非常に苦しい。
そこを我慢して無理やりに這って行くとようやくの事で何となく人間臭い所へ出た。
ここへ這入ったら、どうにかなると思って竹垣の崩れた穴から、とある邸内にもぐり込んだ。
縁は不思議なもので、もしこの竹垣が破れていなかったなら、吾輩はついに路傍に餓死したかも知れんのである。
一樹の蔭とはよく云ったものだ。
この垣根の穴は今日に至るまで吾輩が隣家の三毛を訪問する時の通路になっている。
さて邸へは忍び込んだもののこれから先どうして善いか分らない。
そのうちに暗くなる、腹は減る、寒さは寒し、雨が降って来るという始末でもう一刻の猶予が出来なくなった。
仕方がないからとにかく明るくて暖かそうな方へ方へとあるいて行く。
今から考えるとその時はすでに家の内に這入っておったのだ。
ここで吾輩は彼の書生以外の人間を再び見るべき機会に遭遇したのである。
第一に逢ったのがおさんである。
これは前の書生より一層乱暴な方で吾輩を見るや否やいきなり頸筋をつかんで表へ抛り出した。
いやこれは駄目だと思ったから眼をねぶって運を天に任せていた。
しかしひもじいのと寒いのにはどうしても我慢が出来ん。
吾輩は再びおさんの隙を見て台所へ這い上った。
すると間もなくまた投げ出された。
吾輩は投げ出されては這い上り、這い上っては投げ出され、何でも同じ事を四五遍繰り返したのを記憶している。
その時におさんと云う者はつくづくいやになった。
この間おさんの三馬を偸んでこの返報をしてやってから、やっと胸の痞が下りた。
吾輩が最後につまみ出されようとしたときに、この家の主人が騒々しい何だといいながら出て来た。
下女は吾輩をぶら下げて主人の方へ向けてこの宿なしの小猫がいくら出しても出しても御台所へ上って来て困りますという。
主人は鼻の下の黒い毛を撚りながら吾輩の顔をしばらく眺めておったが、やがてそんなら内へ置いてやれといったまま奥へ這入ってしまった。
主人はあまり口を聞かぬ人と見えた。
下女は口惜しそうに吾輩を台所へ抛り出した。
かくして吾輩はついにこの家を自分の住家と極める事にしたのである。
吾輩の主人は滅多に吾輩と顔を合せる事がない。
職業は教師だそうだ。
学校から帰ると終日書斎に這入ったぎりほとんど出て来る事がない。
家のものは大変な勉強家だと思っている。
当人も勉強家であるかのごとく見せている。
しかし実際はうちのものがいうような勤勉家ではない。
吾輩は時々忍び足に彼の書斎を覗いて見るが、彼はよく昼寝をしている事がある。
時々読みかけてある本の上に涎をたらしている。
彼は胃弱で皮膚の色が淡黄色を帯びて弾力のない不活溌な徴候をあらわしている。
その癖に大飯を食う。
大飯を食った後でタカジヤスターゼを飲む。
飲んだ後で書物をひろげる。
二三ページ読むと眠くなる。
涎を本の上へ垂らす。
これが彼の毎夜繰り返す日課である。
吾輩は猫ながら時々考える事がある。
教師というものは実に楽なものだ。
人間と生れたら教師となるに限る。
こんなに寝ていて勤まるものなら猫にでも出来ぬ事はないと。
それでも主人に云わせると教師ほどつらいものはないそうで彼は友達が来る度に何とかかんとか不平を鳴らしている。
吾輩がこの家へ住み込んだ当時は、主人以外のものにははなはだ不人望であった。
どこへ行っても跳ね付けられて相手にしてくれ手がなかった。
いかに珍重されなかったかは、今日に至るまで名前さえつけてくれないのでも分る。
吾輩は仕方がないから、出来得る限り吾輩を入れてくれた主人の傍にいる事をつとめた。
朝主人が新聞を読むときは必ず彼の膝の上に乗る。
彼が昼寝をするときは必ずその背中に乗る。
これはあながち主人が好きという訳ではないが別に構い手がなかったからやむを得んのである。
その後いろいろ経験の上、朝は飯櫃の上、夜は炬燵の上、天気のよい昼は椽側へ寝る事とした。
しかし一番心持の好いのは夜に入ってここのうちの小供の寝床へもぐり込んでいっしょにねる事である。
この小供というのは五つと三つで夜になると二人が一つ床へ入って一間へ寝る。
吾輩はいつでも彼等の中間に己れを容るべき余地を見出してどうにか、こうにか割り込むのであるが、運悪く小供の一人が眼を醒ますが最後大変な事になる。
小供は——ことに小さい方が質がわるい——猫が来た猫が来たといって夜中でも何でも大きな声で泣き出すのである。
すると例の神経胃弱性の主人は必ず眼をさまして次の部屋から飛び出してくる。
現にせんだってなどは物指で尻ぺたをひどく叩かれた。
吾輩は人間と同居して彼等を観察すればするほど、彼等は我儘なものだと断言せざるを得ないようになった。
ことに吾輩が時々同衾する小供のごときに至っては言語同断である。
自分の勝手な時は人を逆さにしたり、頭へ袋をかぶせたり、抛り出したり、へっついの中へ押し込んだりする。
しかも吾輩の方で少しでも手出しをしようものなら家内総がかりで追い廻して迫害を加える。
この間もちょっと畳で爪を磨いだら細君が非常に怒ってそれから容易に座敷へ入れない。
台所の板の間で他が顫えていても一向平気なものである。
吾輩の尊敬する筋向の白君などは逢う度毎に人間ほど不人情なものはないと言っておらるる。
白君は先日玉のような子猫を四疋産まれたのである。
ところがそこの家の書生が三日目にそいつを裏の池へ持って行って四疋ながら棄てて来たそうだ。
白君は涙を流してその一部始終を話した上、どうしても我等猫族が親子の愛を完くして美しい家族的生活をするには人間と戦ってこれを剿滅せねばならぬといわれた。
一々もっともの議論と思う。
また隣りの三毛君などは人間が所有権という事を解していないといって大に憤慨している。
元来我々同族間では目刺の頭でも鰡の臍でも一番先に見付けたものがこれを食う権利があるものとなっている。
もし相手がこの規約を守らなければ腕力に訴えて善いくらいのものだ。
しかるに彼等人間は毫もこの観念がないと見えて我等が見付けた御馳走は必ず彼等のために掠奪せらるるのである。
彼等はその強力を頼んで正当に吾人が食い得べきものを奪ってすましている。
白君は軍人の家におり三毛君は代言の主人を持っている。
吾輩は教師の家に住んでいるだけ、こんな事に関すると両君よりもむしろ楽天である。
ただその日その日がどうにかこうにか送られればよい。
いくら人間だって、そういつまでも栄える事もあるまい。
まあ気を永く猫の時節を待つがよかろう。
我儘で思い出したからちょっと吾輩の家の主人がこの我儘で失敗した話をしよう。
元来この主人は何といって人に勝れて出来る事もないが、何にでもよく手を出したがる。
俳句をやってほととぎすへ投書をしたり、新体詩を明星へ出したり、間違いだらけの英文をかいたり、時によると弓に凝ったり、謡を習ったり、またあるときはヴァイオリンなどをブーブー鳴らしたりするが、気の毒な事には、どれもこれも物になっておらん。
その癖やり出すと胃弱の癖にいやに熱心だ。
後架の中で謡をうたって、近所で後架先生と渾名をつけられているにも関せず一向平気なもので、やはりこれは平の宗盛にて候を繰返している。
みんながそら宗盛だと吹き出すくらいである。
この主人がどういう考になったものか吾輩の住み込んでから一月ばかり後のある月の月給日に、大きな包みを提げてあわただしく帰って来た。
何を買って来たのかと思うと水彩絵具と毛筆とワットマンという紙で今日から謡や俳句をやめて絵をかく決心と見えた。
果して翌日から当分の間というものは毎日毎日書斎で昼寝もしないで絵ばかりかいている。
しかしそのかき上げたものを見ると何をかいたものやら誰にも鑑定がつかない。
当人もあまり甘くないと思ったものか、ある日その友人で美学とかをやっている人が来た時に下のような話をしているのを聞いた。
「どうも甘くかけないものだね。
人のを見ると何でもないようだが自ら筆をとって見ると今更のようにむずかしく感ずる」これは主人の述懐である。
なるほど詐りのない処だ。
彼の友は金縁の眼鏡越に主人の顔を見ながら、「そう初めから上手にはかけないさ、第一室内の想像ばかりで画がかける訳のものではない。
昔し以太利の大家アンドレア・デル・サルトが言った事がある。
画をかくなら何でも自然その物を写せ。
天に星辰あり。
地に露華あり。
飛ぶに禽あり。
走るに獣あり。
池に金魚あり。
枯木に寒鴉あり。
自然はこれ一幅の大活画なりと。
どうだ君も画らしい画をかこうと思うならちと写生をしたら」
「へえアンドレア・デル・サルトがそんな事をいった事があるかい。
ちっとも知らなかった。
なるほどこりゃもっともだ。
実にその通りだ」と主人は無暗に感心している。
金縁の裏には嘲けるような笑が見えた。
その翌日吾輩は例のごとく椽側に出て心持善く昼寝をしていたら、主人が例になく書斎から出て来て吾輩の後ろで何かしきりにやっている。
ふと眼が覚めて何をしているかと一分ばかり細目に眼をあけて見ると、彼は余念もなくアンドレア・デル・サルトを極め込んでいる。
吾輩はこの有様を見て覚えず失笑するのを禁じ得なかった。
彼は彼の友に揶揄せられたる結果としてまず手初めに吾輩を写生しつつあるのである。
吾輩はすでに十分寝た。
欠伸がしたくてたまらない。
しかしせっかく主人が熱心に筆を執っているのを動いては気の毒だと思って、じっと辛棒しておった。
彼は今吾輩の輪廓をかき上げて顔のあたりを色彩っている。
吾輩は自白する。
吾輩は猫として決して上乗の出来ではない。
背といい毛並といい顔の造作といいあえて他の猫に勝るとは決して思っておらん。
しかしいくら不器量の吾輩でも、今吾輩の主人に描き出されつつあるような妙な姿とは、どうしても思われない。
第一色が違う。
吾輩は波斯産の猫のごとく黄を含める淡灰色に漆のごとき斑入りの皮膚を有している。
これだけは誰が見ても疑うべからざる事実と思う。
しかるに今主人の彩色を見ると、黄でもなければ黒でもない、灰色でもなければ褐色でもない、さればとてこれらを交ぜた色でもない。
ただ一種の色であるというよりほかに評し方のない色である。
その上不思議な事は眼がない。
もっともこれは寝ているところを写生したのだから無理もないが眼らしい所さえ見えないから盲猫だか寝ている猫だか判然しないのである。
吾輩は心中ひそかにいくらアンドレア・デル・サルトでもこれではしようがないと思った。
しかしその熱心には感服せざるを得ない。
なるべくなら動かずにおってやりたいと思ったが、さっきから小便が催うしている。
身内の筋肉はむずむずする。
最早一分も猶予が出来ぬ仕儀となったから、やむをえず失敬して両足を前へ存分のして、首を低く押し出してあーあと大なる欠伸をした。
さてこうなって見ると、もうおとなしくしていても仕方がない。
どうせ主人の予定は打ち壊わしたのだから、ついでに裏へ行って用を足そうと思ってのそのそ這い出した。
すると主人は失望と怒りを掻き交ぜたような声をして、座敷の中から「この馬鹿野郎」と怒鳴った。
この主人は人を罵るときは必ず馬鹿野郎というのが癖である。
ほかに悪口の言いようを知らないのだから仕方がないが、今まで辛棒した人の気も知らないで、無暗に馬鹿野郎呼わりは失敬だと思う。
それも平生吾輩が彼の背中へ乗る時に少しは好い顔でもするならこの漫罵も甘んじて受けるが、こっちの便利になる事は何一つ快くしてくれた事もないのに、小便に立ったのを馬鹿野郎とは酷い。
元来人間というものは自己の力量に慢じてみんな増長している。
少し人間より強いものが出て来て窘めてやらなくてはこの先どこまで増長するか分らない。
我儘もこのくらいなら我慢するが吾輩は人間の不徳についてこれよりも数倍悲しむべき報道を耳にした事がある。
吾輩の家の裏に十坪ばかりの茶園がある。
広くはないが瀟洒とした心持ち好く日の当る所だ。
うちの小供があまり騒いで楽々昼寝の出来ない時や、あまり退屈で腹加減のよくない折などは、吾輩はいつでもここへ出て浩然の気を養うのが例である。
ある小春の穏かな日の二時頃であったが、吾輩は昼飯後快よく一睡した後、運動かたがたこの茶園へと歩を運ばした。
茶の木の根を一本一本嗅ぎながら、西側の杉垣のそばまでくると、枯菊を押し倒してその上に大きな猫が前後不覚に寝ている。
彼は吾輩の近づくのも一向心付かざるごとく、また心付くも無頓着なるごとく、大きな鼾をして長々と体を横えて眠っている。
他の庭内に忍び入りたるものがかくまで平気に睡られるものかと、吾輩は窃かにその大胆なる度胸に驚かざるを得なかった。
彼は純粋の黒猫である。
わずかに午を過ぎたる太陽は、透明なる光線を彼の皮膚の上に抛げかけて、きらきらする柔毛の間より眼に見えぬ炎でも燃え出ずるように思われた。
彼は猫中の大王とも云うべきほどの偉大なる体格を有している。
吾輩の倍はたしかにある。
吾輩は嘆賞の念と、好奇の心に前後を忘れて彼の前に佇立して余念もなく眺めていると、静かなる小春の風が、杉垣の上から出たる梧桐の枝を軽く誘ってばらばらと二三枚の葉が枯菊の茂みに落ちた。
大王はかっとその真丸の眼を開いた。
今でも記憶している。
その眼は人間の珍重する琥珀というものよりも遥かに美しく輝いていた。
彼は身動きもしない。
双眸の奥から射るごとき光を吾輩の矮小なる額の上にあつめて、御めえは一体何だと云った。
大王にしては少々言葉が卑しいと思ったが何しろその声の底に犬をも挫しぐべき力が籠っているので吾輩は少なからず恐れを抱いた。
しかし挨拶をしないと険呑だと思ったから「吾輩は猫である。
名前はまだない」となるべく平気を装って冷然と答えた。
しかしこの時吾輩の心臓はたしかに平時よりも烈しく鼓動しておった。
彼は大に軽蔑せる調子で「何、猫だ?
猫が聞いてあきれらあ。
全てえどこに住んでるんだ」随分傍若無人である。
「吾輩はここの教師の家にいるのだ」「どうせそんな事だろうと思った。
いやに瘠せてるじゃねえか」と大王だけに気焔を吹きかける。
言葉付から察するとどうも良家の猫とも思われない。
しかしその膏切って肥満しているところを見ると御馳走を食ってるらしい、豊かに暮しているらしい。
吾輩は「そう云う君は一体誰だい」と聞かざるを得なかった。
「己れあ車屋の黒よ」昂然たるものだ。
車屋の黒はこの近辺で知らぬ者なき乱暴猫である。
しかし車屋だけに強いばかりでちっとも教育がないからあまり誰も交際しない。
同盟敬遠主義の的になっている奴だ。
吾輩は彼の名を聞いて少々尻こそばゆき感じを起すと同時に、一方では少々軽侮の念も生じたのである。
吾輩はまず彼がどのくらい無学であるかを試してみようと思って左の問答をして見た。
「一体車屋と教師とはどっちがえらいだろう」
「車屋の方が強いに極っていらあな。
御めえのうちの主人を見ねえ、まるで骨と皮ばかりだぜ」
「君も車屋の猫だけに大分強そうだ。
車屋にいると御馳走が食えると見えるね」
「何におれなんざ、どこの国へ行ったって食い物に不自由はしねえつもりだ。
御めえなんかも茶畠ばかりぐるぐる廻っていねえで、ちっと己の後へくっ付いて来て見ねえ。
一と月とたたねえうちに見違えるように太れるぜ」
「追ってそう願う事にしよう。
しかし家は教師の方が車屋より大きいのに住んでいるように思われる」
「箆棒め、うちなんかいくら大きくたって腹の足しになるもんか」
彼は大に肝癪に障った様子で、寒竹をそいだような耳をしきりとぴく付かせてあららかに立ち去った。
吾輩が車屋の黒と知己になったのはこれからである。
その後吾輩は度々黒と邂逅する。
邂逅する毎に彼は車屋相当の気焔を吐く。
先に吾輩が耳にしたという不徳事件も実は黒から聞いたのである。
或る日例のごとく吾輩と黒は暖かい茶畠の中で寝転びながらいろいろ雑談をしていると、彼はいつもの自慢話しをさも新しそうに繰り返したあとで、吾輩に向って下のごとく質問した。
「御めえは今までに鼠を何匹とった事がある」智識は黒よりも余程発達しているつもりだが腕力と勇気とに至っては到底黒の比較にはならないと覚悟はしていたものの、この問に接したる時は、さすがに極りが善くはなかった。
けれども事実は事実で詐る訳には行かないから、吾輩は「実はとろうとろうと思ってまだ捕らない」と答えた。
黒は彼の鼻の先からぴんと突張っている長い髭をびりびりと震わせて非常に笑った。
元来黒は自慢をする丈にどこか足りないところがあって、彼の気焔を感心したように咽喉をころころ鳴らして謹聴していればはなはだ御しやすい猫である。
吾輩は彼と近付になってから直にこの呼吸を飲み込んだからこの場合にもなまじい己れを弁護してますます形勢をわるくするのも愚である、いっその事彼に自分の手柄話をしゃべらして御茶を濁すに若くはないと思案を定めた。
そこでおとなしく「君などは年が年であるから大分とったろう」とそそのかして見た。
果然彼は墻壁の欠所に吶喊して来た。
「たんとでもねえが三四十はとったろう」とは得意気なる彼の答であった。
彼はなお語をつづけて「鼠の百や二百は一人でいつでも引き受けるがいたちってえ奴は手に合わねえ。
一度いたちに向って酷い目に逢った」「へえなるほど」と相槌を打つ。
黒は大きな眼をぱちつかせて云う。
「去年の大掃除の時だ。
うちの亭主が石灰の袋を持って椽の下へ這い込んだら御めえ大きないたちの野郎が面喰って飛び出したと思いねえ」「ふん」と感心して見せる。
「いたちってけども何鼠の少し大きいぐれえのものだ。
こん畜生って気で追っかけてとうとう泥溝の中へ追い込んだと思いねえ」「うまくやったね」と喝采してやる。
「ところが御めえいざってえ段になると奴め最後っ屁をこきゃがった。
臭えの臭くねえのってそれからってえものはいたちを見ると胸が悪くならあ」彼はここに至ってあたかも去年の臭気を今なお感ずるごとく前足を揚げて鼻の頭を二三遍なで廻わした。
吾輩も少々気の毒な感じがする。
ちっと景気を付けてやろうと思って「しかし鼠なら君に睨まれては百年目だろう。
君はあまり鼠を捕るのが名人で鼠ばかり食うものだからそんなに肥って色つやが善いのだろう」黒の御機嫌をとるためのこの質問は不思議にも反対の結果を呈出した。
彼は喟然として大息していう。
「考げえるとつまらねえ。
いくら稼いで鼠をとったって——一てえ人間ほどふてえ奴は世の中にいねえぜ。
人のとった鼠をみんな取り上げやがって交番へ持って行きゃあがる。
交番じゃ誰が捕ったか分らねえからそのたんびに五銭ずつくれるじゃねえか。
うちの亭主なんか己の御蔭でもう壱円五十銭くらい儲けていやがる癖に、碌なものを食わせた事もありゃしねえ。
おい人間てものあ体の善い泥棒だぜ」さすが無学の黒もこのくらいの理窟はわかると見えてすこぶる怒った容子で背中の毛を逆立てている。
吾輩は少々気味が悪くなったから善い加減にその場を胡魔化して家へ帰った。
この時から吾輩は決して鼠をとるまいと決心した。
しかし黒の子分になって鼠以外の御馳走を猟ってあるく事もしなかった。
御馳走を食うよりも寝ていた方が気楽でいい。
教師の家にいると猫も教師のような性質になると見える。
要心しないと今に胃弱になるかも知れない。
教師といえば吾輩の主人も近頃に至っては到底水彩画において望のない事を悟ったものと見えて十二月一日の日記にこんな事をかきつけた。
○○と云う人に今日の会で始めて出逢った。
あの人は大分放蕩をした人だと云うがなるほど通人らしい風采をしている。
こう云う質の人は女に好かれるものだから○○が放蕩をしたと云うよりも放蕩をするべく余儀なくせられたと云うのが適当であろう。
あの人の妻君は芸者だそうだ、羨ましい事である。
元来放蕩家を悪くいう人の大部分は放蕩をする資格のないものが多い。
また放蕩家をもって自任する連中のうちにも、放蕩する資格のないものが多い。
これらは余儀なくされないのに無理に進んでやるのである。
あたかも吾輩の水彩画に於けるがごときもので到底卒業する気づかいはない。
しかるにも関せず、自分だけは通人だと思って済している。
料理屋の酒を飲んだり待合へ這入るから通人となり得るという論が立つなら、吾輩も一廉の水彩画家になり得る理窟だ。
吾輩の水彩画のごときはかかない方がましであると同じように、愚昧なる通人よりも山出しの大野暮の方が遥かに上等だ。
通人論はちょっと首肯しかねる。
また芸者の妻君を羨しいなどというところは教師としては口にすべからざる愚劣の考であるが、自己の水彩画における批評眼だけはたしかなものだ。
主人はかくのごとく自知の明あるにも関せずその自惚心はなかなか抜けない。
中二日置いて十二月四日の日記にこんな事を書いている。
昨夜は僕が水彩画をかいて到底物にならんと思って、そこらに抛って置いたのを誰かが立派な額にして欄間に懸けてくれた夢を見た。
さて額になったところを見ると我ながら急に上手になった。
非常に嬉しい。
これなら立派なものだと独りで眺め暮らしていると、夜が明けて眼が覚めてやはり元の通り下手である事が朝日と共に明瞭になってしまった。
主人は夢の裡まで水彩画の未練を背負ってあるいていると見える。
これでは水彩画家は無論夫子の所謂通人にもなれない質だ。
主人が水彩画を夢に見た翌日例の金縁眼鏡の美学者が久し振りで主人を訪問した。
彼は座につくと劈頭第一に「画はどうかね」と口を切った。
主人は平気な顔をして「君の忠告に従って写生を力めているが、なるほど写生をすると今まで気のつかなかった物の形や、色の精細な変化などがよく分るようだ。
西洋では昔しから写生を主張した結果今日のように発達したものと思われる。
さすがアンドレア・デル・サルトだ」と日記の事はおくびにも出さないで、またアンドレア・デル・サルトに感心する。
美学者は笑いながら「実は君、あれは出鱈目だよ」と頭を掻く。
「何が」と主人はまだ※わられた事に気がつかない。
「何がって君のしきりに感服しているアンドレア・デル・サルトさ。
あれは僕のちょっと捏造した話だ。
君がそんなに真面目に信じようとは思わなかったハハハハ」と大喜悦の体である。
吾輩は椽側でこの対話を聞いて彼の今日の日記にはいかなる事が記さるるであろうかと予め想像せざるを得なかった。
この美学者はこんな好加減な事を吹き散らして人を担ぐのを唯一の楽にしている男である。
彼はアンドレア・デル・サルト事件が主人の情線にいかなる響を伝えたかを毫も顧慮せざるもののごとく得意になって下のような事を饒舌った。
「いや時々冗談を言うと人が真に受けるので大に滑稽的美感を挑撥するのは面白い。
せんだってある学生にニコラス・ニックルベーがギボンに忠告して彼の一世の大著述なる仏国革命史を仏語で書くのをやめにして英文で出版させたと言ったら、その学生がまた馬鹿に記憶の善い男で、日本文学会の演説会で真面目に僕の話した通りを繰り返したのは滑稽であった。
ところがその時の傍聴者は約百名ばかりであったが、皆熱心にそれを傾聴しておった。
それからまだ面白い話がある。
せんだって或る文学者のいる席でハリソンの歴史小説セオファーノの話しが出たから僕はあれは歴史小説の中で白眉である。
ことに女主人公が死ぬところは鬼気人を襲うようだと評したら、僕の向うに坐っている知らんと云った事のない先生が、そうそうあすこは実に名文だといった。
それで僕はこの男もやはり僕同様この小説を読んでおらないという事を知った」神経胃弱性の主人は眼を丸くして問いかけた。
「そんな出鱈目をいってもし相手が読んでいたらどうするつもりだ」あたかも人を欺くのは差支ない、ただ化の皮があらわれた時は困るじゃないかと感じたもののごとくである。
美学者は少しも動じない。
「なにその時ゃ別の本と間違えたとか何とか云うばかりさ」と云ってけらけら笑っている。
この美学者は金縁の眼鏡は掛けているがその性質が車屋の黒に似たところがある。
主人は黙って日の出を輪に吹いて吾輩にはそんな勇気はないと云わんばかりの顔をしている。
美学者はそれだから画をかいても駄目だという目付で「しかし冗談は冗談だが画というものは実際むずかしいものだよ、レオナルド・ダ・ヴィンチは門下生に寺院の壁のしみを写せと教えた事があるそうだ。
なるほど雪隠などに這入って雨の漏る壁を余念なく眺めていると、なかなかうまい模様画が自然に出来ているぜ。
君注意して写生して見給えきっと面白いものが出来るから」「また欺すのだろう」「いえこれだけはたしかだよ。
実際奇警な語じゃないか、ダ・ヴィンチでもいいそうな事だあね」「なるほど奇警には相違ないな」と主人は半分降参をした。
しかし彼はまだ雪隠で写生はせぬようだ。
車屋の黒はその後跛になった。
彼の光沢ある毛は漸々色が褪めて抜けて来る。
吾輩が琥珀よりも美しいと評した彼の眼には眼脂が一杯たまっている。
ことに著るしく吾輩の注意を惹いたのは彼の元気の消沈とその体格の悪くなった事である。
吾輩が例の茶園で彼に逢った最後の日、どうだと云って尋ねたら「いたちの最後屁と肴屋の天秤棒には懲々だ」といった。
赤松の間に二三段の紅を綴った紅葉は昔しの夢のごとく散ってつくばいに近く代る代る花弁をこぼした紅白の山茶花も残りなく落ち尽した。
三間半の南向の椽側に冬の日脚が早く傾いて木枯の吹かない日はほとんど稀になってから吾輩の昼寝の時間も狭められたような気がする。
主人は毎日学校へ行く。
帰ると書斎へ立て籠る。
人が来ると、教師が厭だ厭だという。
水彩画も滅多にかかない。
タカジヤスターゼも功能がないといってやめてしまった。
小供は感心に休まないで幼稚園へかよう。
帰ると唱歌を歌って、毬をついて、時々吾輩を尻尾でぶら下げる。
吾輩は御馳走も食わないから別段肥りもしないが、まずまず健康で跛にもならずにその日その日を暮している。
鼠は決して取らない。
おさんは未だに嫌いである。
名前はまだつけてくれないが、欲をいっても際限がないから生涯この教師の家で無名の猫で終るつもりだ。
二
吾輩は新年来多少有名になったので、猫ながらちょっと鼻が高く感ぜらるるのはありがたい。
元朝早々主人の許へ一枚の絵端書が来た。
これは彼の交友某画家からの年始状であるが、上部を赤、下部を深緑りで塗って、その真中に一の動物が蹲踞っているところをパステルで書いてある。
主人は例の書斎でこの絵を、横から見たり、竪から眺めたりして、うまい色だなという。
すでに一応感服したものだから、もうやめにするかと思うとやはり横から見たり、竪から見たりしている。
からだを拗じ向けたり、手を延ばして年寄が三世相を見るようにしたり、または窓の方へむいて鼻の先まで持って来たりして見ている。
早くやめてくれないと膝が揺れて険呑でたまらない。
ようやくの事で動揺があまり劇しくなくなったと思ったら、小さな声で一体何をかいたのだろうと云う。
主人は絵端書の色には感服したが、かいてある動物の正体が分らぬので、さっきから苦心をしたものと見える。
そんな分らぬ絵端書かと思いながら、寝ていた眼を上品に半ば開いて、落ちつき払って見ると紛れもない、自分の肖像だ。
主人のようにアンドレア・デル・サルトを極め込んだものでもあるまいが、画家だけに形体も色彩もちゃんと整って出来ている。
誰が見たって猫に相違ない。
少し眼識のあるものなら、猫の中でも他の猫じゃない吾輩である事が判然とわかるように立派に描いてある。
このくらい明瞭な事を分らずにかくまで苦心するかと思うと、少し人間が気の毒になる。
出来る事ならその絵が吾輩であると云う事を知らしてやりたい。
吾輩であると云う事はよし分らないにしても、せめて猫であるという事だけは分らしてやりたい。
しかし人間というものは到底吾輩猫属の言語を解し得るくらいに天の恵に浴しておらん動物であるから、残念ながらそのままにしておいた。
ちょっと読者に断っておきたいが、元来人間が何ぞというと猫々と、事もなげに軽侮の口調をもって吾輩を評価する癖があるははなはだよくない。
人間の糟から牛と馬が出来て、牛と馬の糞から猫が製造されたごとく考えるのは、自分の無智に心付かんで高慢な顔をする教師などにはありがちの事でもあろうが、はたから見てあまり見っともいい者じゃない。
いくら猫だって、そう粗末簡便には出来ぬ。
よそ目には一列一体、平等無差別、どの猫も自家固有の特色などはないようであるが、猫の社会に這入って見るとなかなか複雑なもので十人十色という人間界の語はそのままここにも応用が出来るのである。
目付でも、鼻付でも、毛並でも、足並でも、みんな違う。
髯の張り具合から耳の立ち按排、尻尾の垂れ加減に至るまで同じものは一つもない。
器量、不器量、好き嫌い、粋無粋の数を悉くして千差万別と云っても差支えないくらいである。
そのように判然たる区別が存しているにもかかわらず、人間の眼はただ向上とか何とかいって、空ばかり見ているものだから、吾輩の性質は無論相貌の末を識別する事すら到底出来ぬのは気の毒だ。
同類相求むとは昔しからある語だそうだがその通り、餅屋は餅屋、猫は猫で、猫の事ならやはり猫でなくては分らぬ。
いくら人間が発達したってこればかりは駄目である。
いわんや実際をいうと彼等が自ら信じているごとくえらくも何ともないのだからなおさらむずかしい。
またいわんや同情に乏しい吾輩の主人のごときは、相互を残りなく解するというが愛の第一義であるということすら分らない男なのだから仕方がない。
彼は性の悪い牡蠣のごとく書斎に吸い付いて、かつて外界に向って口を開いた事がない。
それで自分だけはすこぶる達観したような面構をしているのはちょっとおかしい。
達観しない証拠には現に吾輩の肖像が眼の前にあるのに少しも悟った様子もなく今年は征露の第二年目だから大方熊の画だろうなどと気の知れぬことをいってすましているのでもわかる。
吾輩が主人の膝の上で眼をねむりながらかく考えていると、やがて下女が第二の絵端書を持って来た。
見ると活版で舶来の猫が四五疋ずらりと行列してペンを握ったり書物を開いたり勉強をしている。
その内の一疋は席を離れて机の角で西洋の猫じゃ猫じゃを躍っている。
その上に日本の墨で「吾輩は猫である」と黒々とかいて、右の側に書を読むや躍るや猫の春一日という俳句さえ認められてある。
これは主人の旧門下生より来たので誰が見たって一見して意味がわかるはずであるのに、迂濶な主人はまだ悟らないと見えて不思議そうに首を捻って、はてな今年は猫の年かなと独言を言った。
吾輩がこれほど有名になったのを未だ気が着かずにいると見える。
ところへ下女がまた第三の端書を持ってくる。
今度は絵端書ではない。
恭賀新年とかいて、傍らに乍恐縮かの猫へも宜しく御伝声奉願上候とある。
いかに迂遠な主人でもこう明らさまに書いてあれば分るものと見えてようやく気が付いたようにフンと言いながら吾輩の顔を見た。
その眼付が今までとは違って多少尊敬の意を含んでいるように思われた。
今まで世間から存在を認められなかった主人が急に一個の新面目を施こしたのも、全く吾輩の御蔭だと思えばこのくらいの眼付は至当だろうと考える。
おりから門の格子がチリン、チリン、チリリリリンと鳴る。
大方来客であろう、来客なら下女が取次に出る。
吾輩は肴屋の梅公がくる時のほかは出ない事に極めているのだから、平気で、もとのごとく主人の膝に坐っておった。
すると主人は高利貸にでも飛び込まれたように不安な顔付をして玄関の方を見る。
何でも年賀の客を受けて酒の相手をするのが厭らしい。
人間もこのくらい偏屈になれば申し分はない。
そんなら早くから外出でもすればよいのにそれほどの勇気も無い。
いよいよ牡蠣の根性をあらわしている。
しばらくすると下女が来て寒月さんがおいでになりましたという。
この寒月という男はやはり主人の旧門下生であったそうだが、今では学校を卒業して、何でも主人より立派になっているという話しである。
この男がどういう訳か、よく主人の所へ遊びに来る。
来ると自分を恋っている女が有りそうな、無さそうな、世の中が面白そうな、つまらなそうな、凄いような艶っぽいような文句ばかり並べては帰る。
主人のようなしなびかけた人間を求めて、わざわざこんな話しをしに来るのからして合点が行かぬが、あの牡蠣的主人がそんな談話を聞いて時々相槌を打つのはなお面白い。
「しばらく御無沙汰をしました。
実は去年の暮から大に活動しているものですから、出よう出ようと思っても、ついこの方角へ足が向かないので」と羽織の紐をひねくりながら謎見たような事をいう。
「どっちの方角へ足が向くかね」と主人は真面目な顔をして、黒木綿の紋付羽織の袖口を引張る。
この羽織は木綿でゆきが短かい、下からべんべら者が左右へ五分くらいずつはみ出している。
「エヘヘヘ少し違った方角で」と寒月君が笑う。
見ると今日は前歯が一枚欠けている。
「君歯をどうかしたかね」と主人は問題を転じた。
「ええ実はある所で椎茸を食いましてね」「何を食ったって?
」「その、少し椎茸を食ったんで。
椎茸の傘を前歯で噛み切ろうとしたらぼろりと歯が欠けましたよ」「椎茸で前歯がかけるなんざ、何だか爺々臭いね。
俳句にはなるかも知れないが、恋にはならんようだな」と平手で吾輩の頭を軽く叩く。
「ああその猫が例のですか、なかなか肥ってるじゃありませんか、それなら車屋の黒にだって負けそうもありませんね、立派なものだ」と寒月君は大に吾輩を賞める。
「近頃大分大きくなったのさ」と自慢そうに頭をぽかぽかなぐる。
賞められたのは得意であるが頭が少々痛い。
「一昨夜もちょいと合奏会をやりましてね」と寒月君はまた話しをもとへ戻す。
「どこで」「どこでもそりゃ御聞きにならんでもよいでしょう。
ヴァイオリンが三挺とピヤノの伴奏でなかなか面白かったです。
ヴァイオリンも三挺くらいになると下手でも聞かれるものですね。
二人は女で私がその中へまじりましたが、自分でも善く弾けたと思いました」「ふん、そしてその女というのは何者かね」と主人は羨ましそうに問いかける。
元来主人は平常枯木寒巌のような顔付はしているものの実のところは決して婦人に冷淡な方ではない、かつて西洋の或る小説を読んだら、その中にある一人物が出て来て、それが大抵の婦人には必ずちょっと惚れる。
勘定をして見ると往来を通る婦人の七割弱には恋着するという事が諷刺的に書いてあったのを見て、これは真理だと感心したくらいな男である。
そんな浮気な男が何故牡蠣的生涯を送っているかと云うのは吾輩猫などには到底分らない。
或人は失恋のためだとも云うし、或人は胃弱のせいだとも云うし、また或人は金がなくて臆病な性質だからだとも云う。
どっちにしたって明治の歴史に関係するほどな人物でもないのだから構わない。
しかし寒月君の女連れを羨まし気に尋ねた事だけは事実である。
寒月君は面白そうに口取の蒲鉾を箸で挟んで半分前歯で食い切った。
吾輩はまた欠けはせぬかと心配したが今度は大丈夫であった。
「なに二人とも去る所の令嬢ですよ、御存じの方じゃありません」と余所余所しい返事をする。
「ナール」と主人は引張ったが「ほど」を略して考えている。
寒月君はもう善い加減な時分だと思ったものか「どうも好い天気ですな、御閑ならごいっしょに散歩でもしましょうか、旅順が落ちたので市中は大変な景気ですよ」と促がして見る。
主人は旅順の陥落より女連の身元を聞きたいと云う顔で、しばらく考え込んでいたがようやく決心をしたものと見えて「それじゃ出るとしよう」と思い切って立つ。
やはり黒木綿の紋付羽織に、兄の紀念とかいう二十年来着古るした結城紬の綿入を着たままである。
いくら結城紬が丈夫だって、こう着つづけではたまらない。
所々が薄くなって日に透かして見ると裏からつぎを当てた針の目が見える。
主人の服装には師走も正月もない。
ふだん着も余所ゆきもない。
出るときは懐手をしてぶらりと出る。
ほかに着る物がないからか、有っても面倒だから着換えないのか、吾輩には分らぬ。
ただしこれだけは失恋のためとも思われない。
両人が出て行ったあとで、吾輩はちょっと失敬して寒月君の食い切った蒲鉾の残りを頂戴した。
吾輩もこの頃では普通一般の猫ではない。
まず桃川如燕以後の猫か、グレーの金魚を偸んだ猫くらいの資格は充分あると思う。
車屋の黒などは固より眼中にない。
蒲鉾の一切くらい頂戴したって人からかれこれ云われる事もなかろう。
それにこの人目を忍んで間食をするという癖は、何も吾等猫族に限った事ではない。
うちの御三などはよく細君の留守中に餅菓子などを失敬しては頂戴し、頂戴しては失敬している。
御三ばかりじゃない現に上品な仕付を受けつつあると細君から吹聴せられている小児ですらこの傾向がある。
四五日前のことであったが、二人の小供が馬鹿に早くから眼を覚まして、まだ主人夫婦の寝ている間に対い合うて食卓に着いた。
彼等は毎朝主人の食う麺麭の幾分に、砂糖をつけて食うのが例であるが、この日はちょうど砂糖壺が卓の上に置かれて匙さえ添えてあった。
いつものように砂糖を分配してくれるものがないので、大きい方がやがて壺の中から一匙の砂糖をすくい出して自分の皿の上へあけた。
すると小さいのが姉のした通り同分量の砂糖を同方法で自分の皿の上にあけた。
少らく両人は睨み合っていたが、大きいのがまた匙をとって一杯をわが皿の上に加えた。
小さいのもすぐ匙をとってわが分量を姉と同一にした。
すると姉がまた一杯すくった。
妹も負けずに一杯を附加した。
姉がまた壺へ手を懸ける、妹がまた匙をとる。
見ている間に一杯一杯一杯と重なって、ついには両人の皿には山盛の砂糖が堆くなって、壺の中には一匙の砂糖も余っておらんようになったとき、主人が寝ぼけ眼を擦りながら寝室を出て来てせっかくしゃくい出した砂糖を元のごとく壺の中へ入れてしまった。
こんなところを見ると、人間は利己主義から割り出した公平という念は猫より優っているかも知れぬが、智慧はかえって猫より劣っているようだ。
そんなに山盛にしないうちに早く甞めてしまえばいいにと思ったが、例のごとく、吾輩の言う事などは通じないのだから、気の毒ながら御櫃の上から黙って見物していた。
寒月君と出掛けた主人はどこをどう歩行いたものか、その晩遅く帰って来て、翌日食卓に就いたのは九時頃であった。
例の御櫃の上から拝見していると、主人はだまって雑煮を食っている。
代えては食い、代えては食う。
餅の切れは小さいが、何でも六切か七切食って、最後の一切れを椀の中へ残して、もうよそうと箸を置いた。
他人がそんな我儘をすると、なかなか承知しないのであるが、主人の威光を振り廻わして得意なる彼は、濁った汁の中に焦げ爛れた餅の死骸を見て平気ですましている。
妻君が袋戸の奥からタカジヤスターゼを出して卓の上に置くと、主人は「それは利かないから飲まん」という。
「でもあなた澱粉質のものには大変功能があるそうですから、召し上ったらいいでしょう」と飲ませたがる。
「澱粉だろうが何だろうが駄目だよ」と頑固に出る。
「あなたはほんとに厭きっぽい」と細君が独言のようにいう。
「厭きっぽいのじゃない薬が利かんのだ」「それだってせんだってじゅうは大変によく利くよく利くとおっしゃって毎日毎日上ったじゃありませんか」「こないだうちは利いたのだよ、この頃は利かないのだよ」と対句のような返事をする。
「そんなに飲んだり止めたりしちゃ、いくら功能のある薬でも利く気遣いはありません、もう少し辛防がよくなくっちゃあ胃弱なんぞはほかの病気たあ違って直らないわねえ」とお盆を持って控えた御三を顧みる。
「それは本当のところでございます。
もう少し召し上ってご覧にならないと、とても善い薬か悪い薬かわかりますまい」と御三は一も二もなく細君の肩を持つ。
「何でもいい、飲まんのだから飲まんのだ、女なんかに何がわかるものか、黙っていろ」「どうせ女ですわ」と細君がタカジヤスターゼを主人の前へ突き付けて是非詰腹を切らせようとする。
主人は何にも云わず立って書斎へ這入る。
細君と御三は顔を見合せてにやにやと笑う。
こんなときに後からくっ付いて行って膝の上へ乗ると、大変な目に逢わされるから、そっと庭から廻って書斎の椽側へ上って障子の隙から覗いて見ると、主人はエピクテタスとか云う人の本を披いて見ておった。
もしそれが平常の通りわかるならちょっとえらいところがある。
五六分するとその本を叩き付けるように机の上へ抛り出す。
大方そんな事だろうと思いながらなお注意していると、今度は日記帳を出して下のような事を書きつけた。
寒月と、根津、上野、池の端、神田辺を散歩。
池の端の待合の前で芸者が裾模様の春着をきて羽根をついていた。
衣装は美しいが顔はすこぶるまずい。
何となくうちの猫に似ていた。
何も顔のまずい例に特に吾輩を出さなくっても、よさそうなものだ。
吾輩だって喜多床へ行って顔さえ剃って貰やあ、そんなに人間と異ったところはありゃしない。
人間はこう自惚れているから困る。
宝丹の角を曲るとまた一人芸者が来た。
これは背のすらりとした撫肩の恰好よく出来上った女で、着ている薄紫の衣服も素直に着こなされて上品に見えた。
白い歯を出して笑いながら「源ちゃん昨夕は——つい忙がしかったもんだから」と云った。
ただしその声は旅鴉のごとく皺枯れておったので、せっかくの風采も大に下落したように感ぜられたから、いわゆる源ちゃんなるもののいかなる人なるかを振り向いて見るも面倒になって、懐手のまま御成道へ出た。
寒月は何となくそわそわしているごとく見えた。
人間の心理ほど解し難いものはない。
この主人の今の心は怒っているのだか、浮かれているのだか、または哲人の遺書に一道の慰安を求めつつあるのか、ちっとも分らない。
世の中を冷笑しているのか、世の中へ交りたいのだか、くだらぬ事に肝癪を起しているのか、物外に超然としているのだかさっぱり見当が付かぬ。
猫などはそこへ行くと単純なものだ。
食いたければ食い、寝たければ寝る、怒るときは一生懸命に怒り、泣くときは絶体絶命に泣く。
第一日記などという無用のものは決してつけない。
つける必要がないからである。
主人のように裏表のある人間は日記でも書いて世間に出されない自己の面目を暗室内に発揮する必要があるかも知れないが、我等猫属に至ると行住坐臥、行屎送尿ことごとく真正の日記であるから、別段そんな面倒な手数をして、己れの真面目を保存するには及ばぬと思う。
日記をつけるひまがあるなら椽側に寝ているまでの事さ。
神田の某亭で晩餐を食う。
久し振りで正宗を二三杯飲んだら、今朝は胃の具合が大変いい。
胃弱には晩酌が一番だと思う。
タカジヤスターゼは無論いかん。
誰が何と云っても駄目だ。
どうしたって利かないものは利かないのだ。
無暗にタカジヤスターゼを攻撃する。
独りで喧嘩をしているようだ。
今朝の肝癪がちょっとここへ尾を出す。
人間の日記の本色はこう云う辺に存するのかも知れない。
せんだって○○は朝飯を廃すると胃がよくなると云うたから二三日朝飯をやめて見たが腹がぐうぐう鳴るばかりで功能はない。
△△は是非香の物を断てと忠告した。
彼の説によるとすべて胃病の源因は漬物にある。
漬物さえ断てば胃病の源を涸らす訳だから本復は疑なしという論法であった。
それから一週間ばかり香の物に箸を触れなかったが別段の験も見えなかったから近頃はまた食い出した。
××に聞くとそれは按腹揉療治に限る。
ただし普通のではゆかぬ。
皆川流という古流な揉み方で一二度やらせれば大抵の胃病は根治出来る。
安井息軒も大変この按摩術を愛していた。
坂本竜馬のような豪傑でも時々は治療をうけたと云うから、早速上根岸まで出掛けて揉まして見た。
ところが骨を揉まなければ癒らぬとか、臓腑の位置を一度顛倒しなければ根治がしにくいとかいって、それはそれは残酷な揉み方をやる。
後で身体が綿のようになって昏睡病にかかったような心持ちがしたので、一度で閉口してやめにした。
A君は是非固形体を食うなという。
それから、一日牛乳ばかり飲んで暮して見たが、この時は腸の中でどぼりどぼりと音がして大水でも出たように思われて終夜眠れなかった。
B氏は横膈膜で呼吸して内臓を運動させれば自然と胃の働きが健全になる訳だから試しにやって御覧という。
これも多少やったが何となく腹中が不安で困る。
それに時々思い出したように一心不乱にかかりはするものの五六分立つと忘れてしまう。
忘れまいとすると横膈膜が気になって本を読む事も文章をかく事も出来ぬ。
美学者の迷亭がこの体を見て、産気のついた男じゃあるまいし止すがいいと冷かしたからこの頃は廃してしまった。
C先生は蕎麦を食ったらよかろうと云うから、早速かけともりをかわるがわる食ったが、これは腹が下るばかりで何等の功能もなかった。
余は年来の胃弱を直すために出来得る限りの方法を講じて見たがすべて駄目である。
ただ昨夜寒月と傾けた三杯の正宗はたしかに利目がある。
これからは毎晩二三杯ずつ飲む事にしよう。
これも決して長く続く事はあるまい。
主人の心は吾輩の眼球のように間断なく変化している。
何をやっても永持のしない男である。
その上日記の上で胃病をこんなに心配している癖に、表向は大に痩我慢をするからおかしい。
せんだってその友人で某という学者が尋ねて来て、一種の見地から、すべての病気は父祖の罪悪と自己の罪悪の結果にほかならないと云う議論をした。
大分研究したものと見えて、条理が明晰で秩序が整然として立派な説であった。
気の毒ながらうちの主人などは到底これを反駁するほどの頭脳も学問もないのである。
しかし自分が胃病で苦しんでいる際だから、何とかかんとか弁解をして自己の面目を保とうと思った者と見えて、「君の説は面白いが、あのカーライルは胃弱だったぜ」とあたかもカーライルが胃弱だから自分の胃弱も名誉であると云ったような、見当違いの挨拶をした。
すると友人は「カーライルが胃弱だって、胃弱の病人が必ずカーライルにはなれないさ」と極め付けたので主人は黙然としていた。
かくのごとく虚栄心に富んでいるものの実際はやはり胃弱でない方がいいと見えて、今夜から晩酌を始めるなどというのはちょっと滑稽だ。
考えて見ると今朝雑煮をあんなにたくさん食ったのも昨夜寒月君と正宗をひっくり返した影響かも知れない。
吾輩もちょっと雑煮が食って見たくなった。
吾輩は猫ではあるが大抵のものは食う。
車屋の黒のように横丁の肴屋まで遠征をする気力はないし、新道の二絃琴の師匠の所の三毛のように贅沢は無論云える身分でない。
従って存外嫌は少ない方だ。
小供の食いこぼした麺麭も食うし、餅菓子の※もなめる。
香の物はすこぶるまずいが経験のため沢庵を二切ばかりやった事がある。
食って見ると妙なもので、大抵のものは食える。
あれは嫌だ、これは嫌だと云うのは贅沢な我儘で到底教師の家にいる猫などの口にすべきところでない。
主人の話しによると仏蘭西にバルザックという小説家があったそうだ。
この男が大の贅沢屋で——もっともこれは口の贅沢屋ではない、小説家だけに文章の贅沢を尽したという事である。
バルザックが或る日自分の書いている小説中の人間の名をつけようと思っていろいろつけて見たが、どうしても気に入らない。
ところへ友人が遊びに来たのでいっしょに散歩に出掛けた。
友人は固より何も知らずに連れ出されたのであるが、バルザックは兼ねて自分の苦心している名を目付ようという考えだから往来へ出ると何もしないで店先の看板ばかり見て歩行いている。
ところがやはり気に入った名がない。
友人を連れて無暗にあるく。
友人は訳がわからずにくっ付いて行く。
彼等はついに朝から晩まで巴理を探険した。
その帰りがけにバルザックはふとある裁縫屋の看板が目についた。
見るとその看板にマーカスという名がかいてある。
バルザックは手を拍って「これだこれだこれに限る。
マーカスは好い名じゃないか。
マーカスの上へZという頭文字をつける、すると申し分のない名が出来る。
Zでなくてはいかん。
Z. Marcus は実にうまい。
どうも自分で作った名はうまくつけたつもりでも何となく故意とらしいところがあって面白くない。
ようやくの事で気に入った名が出来た」と友人の迷惑はまるで忘れて、一人嬉しがったというが、小説中の人間の名前をつけるに一日巴理を探険しなくてはならぬようでは随分手数のかかる話だ。
贅沢もこのくらい出来れば結構なものだが吾輩のように牡蠣的主人を持つ身の上ではとてもそんな気は出ない。
何でもいい、食えさえすれば、という気になるのも境遇のしからしむるところであろう。
だから今雑煮が食いたくなったのも決して贅沢の結果ではない、何でも食える時に食っておこうという考から、主人の食い剰した雑煮がもしや台所に残っていはすまいかと思い出したからである。
……台所へ廻って見る。
今朝見た通りの餅が、今朝見た通りの色で椀の底に膠着している。
白状するが餅というものは今まで一辺も口に入れた事がない。
見るとうまそうにもあるし、また少しは気味がわるくもある。
前足で上にかかっている菜っ葉を掻き寄せる。
爪を見ると餅の上皮が引き掛ってねばねばする。
嗅いで見ると釜の底の飯を御櫃へ移す時のような香がする。
食おうかな、やめようかな、とあたりを見廻す。
幸か不幸か誰もいない。
御三は暮も春も同じような顔をして羽根をついている。
小供は奥座敷で「何とおっしゃる兎さん」を歌っている。
食うとすれば今だ。
もしこの機をはずすと来年までは餅というものの味を知らずに暮してしまわねばならぬ。
吾輩はこの刹那に猫ながら一の真理を感得した。
「得難き機会はすべての動物をして、好まざる事をも敢てせしむ」吾輩は実を云うとそんなに雑煮を食いたくはないのである。
否椀底の様子を熟視すればするほど気味が悪くなって、食うのが厭になったのである。
この時もし御三でも勝手口を開けたなら、奥の小供の足音がこちらへ近付くのを聞き得たなら、吾輩は惜気もなく椀を見棄てたろう、しかも雑煮の事は来年まで念頭に浮ばなかったろう。
ところが誰も来ない、いくら※躇していても誰も来ない。
早く食わぬか食わぬかと催促されるような心持がする。
吾輩は椀の中を覗き込みながら、早く誰か来てくれればいいと念じた。
やはり誰も来てくれない。
吾輩はとうとう雑煮を食わなければならぬ。
最後にからだ全体の重量を椀の底へ落すようにして、あぐりと餅の角を一寸ばかり食い込んだ。
このくらい力を込めて食い付いたのだから、大抵なものなら噛み切れる訳だが、驚いた! もうよかろうと思って歯を引こうとすると引けない。
もう一辺噛み直そうとすると動きがとれない。
餅は魔物だなと疳づいた時はすでに遅かった。
沼へでも落ちた人が足を抜こうと焦慮るたびにぶくぶく深く沈むように、噛めば噛むほど口が重くなる、歯が動かなくなる。
歯答えはあるが、歯答えがあるだけでどうしても始末をつける事が出来ない。
美学者迷亭先生がかつて吾輩の主人を評して君は割り切れない男だといった事があるが、なるほどうまい事をいったものだ。
この餅も主人と同じようにどうしても割り切れない。
噛んでも噛んでも、三で十を割るごとく尽未来際方のつく期はあるまいと思われた。
この煩悶の際吾輩は覚えず第二の真理に逢着した。
「すべての動物は直覚的に事物の適不適を予知す」真理はすでに二つまで発明したが、餅がくっ付いているので毫も愉快を感じない。
歯が餅の肉に吸収されて、抜けるように痛い。
早く食い切って逃げないと御三が来る。
小供の唱歌もやんだようだ、きっと台所へ馳け出して来るに相違ない。
煩悶の極尻尾をぐるぐる振って見たが何等の功能もない、耳を立てたり寝かしたりしたが駄目である。
考えて見ると耳と尻尾は餅と何等の関係もない。
要するに振り損の、立て損の、寝かし損であると気が付いたからやめにした。
ようやくの事これは前足の助けを借りて餅を払い落すに限ると考え付いた。
まず右の方をあげて口の周囲を撫で廻す。
撫でたくらいで割り切れる訳のものではない。
今度は左りの方を伸して口を中心として急劇に円を劃して見る。
そんな呪いで魔は落ちない。
辛防が肝心だと思って左右交る交るに動かしたがやはり依然として歯は餅の中にぶら下っている。
ええ面倒だと両足を一度に使う。
すると不思議な事にこの時だけは後足二本で立つ事が出来た。
何だか猫でないような感じがする。
猫であろうが、あるまいがこうなった日にゃあ構うものか、何でも餅の魔が落ちるまでやるべしという意気込みで無茶苦茶に顔中引っ掻き廻す。
前足の運動が猛烈なのでややともすると中心を失って倒れかかる。
倒れかかるたびに後足で調子をとらなくてはならぬから、一つ所にいる訳にも行かんので、台所中あちら、こちらと飛んで廻る。
我ながらよくこんなに器用に起っていられたものだと思う。
第三の真理が驀地に現前する。
「危きに臨めば平常なし能わざるところのものを為し能う。
之を天祐という」幸に天祐を享けたる吾輩が一生懸命餅の魔と戦っていると、何だか足音がして奥より人が来るような気合である。
ここで人に来られては大変だと思って、いよいよ躍起となって台所をかけ廻る。
足音はだんだん近付いてくる。
ああ残念だが天祐が少し足りない。
とうとう小供に見付けられた。
「あら猫が御雑煮を食べて踊を踊っている」と大きな声をする。
この声を第一に聞きつけたのが御三である。
羽根も羽子板も打ち遣って勝手から「あらまあ」と飛込んで来る。
細君は縮緬の紋付で「いやな猫ねえ」と仰せられる。
主人さえ書斎から出て来て「この馬鹿野郎」といった。
面白い面白いと云うのは小供ばかりである。
そうしてみんな申し合せたようにげらげら笑っている。
腹は立つ、苦しくはある、踊はやめる訳にゆかぬ、弱った。
ようやく笑いがやみそうになったら、五つになる女の子が「御かあ様、猫も随分ね」といったので狂瀾を既倒に何とかするという勢でまた大変笑われた。
人間の同情に乏しい実行も大分見聞したが、この時ほど恨めしく感じた事はなかった。
ついに天祐もどっかへ消え失せて、在来の通り四つ這になって、眼を白黒するの醜態を演ずるまでに閉口した。
さすが見殺しにするのも気の毒と見えて「まあ餅をとってやれ」と主人が御三に命ずる。
御三はもっと踊らせようじゃありませんかという眼付で細君を見る。
細君は踊は見たいが、殺してまで見る気はないのでだまっている。
「取ってやらんと死んでしまう、早くとってやれ」と主人は再び下女を顧みる。
御三は御馳走を半分食べかけて夢から起された時のように、気のない顔をして餅をつかんでぐいと引く。
寒月君じゃないが前歯がみんな折れるかと思った。
どうも痛いの痛くないのって、餅の中へ堅く食い込んでいる歯を情け容赦もなく引張るのだからたまらない。
吾輩が「すべての安楽は困苦を通過せざるべからず」と云う第四の真理を経験して、けろけろとあたりを見廻した時には、家人はすでに奥座敷へ這入ってしまっておった。
こんな失敗をした時には内にいて御三なんぞに顔を見られるのも何となくばつが悪い。
いっその事気を易えて新道の二絃琴の御師匠さんの所の三毛子でも訪問しようと台所から裏へ出た。
三毛子はこの近辺で有名な美貌家である。
吾輩は猫には相違ないが物の情けは一通り心得ている。
うちで主人の苦い顔を見たり、御三の険突を食って気分が勝れん時は必ずこの異性の朋友の許を訪問していろいろな話をする。
すると、いつの間にか心が晴々して今までの心配も苦労も何もかも忘れて、生れ変ったような心持になる。
女性の影響というものは実に莫大なものだ。
杉垣の隙から、いるかなと思って見渡すと、三毛子は正月だから首輪の新しいのをして行儀よく椽側に坐っている。
その背中の丸さ加減が言うに言われんほど美しい。
曲線の美を尽している。
尻尾の曲がり加減、足の折り具合、物憂げに耳をちょいちょい振る景色なども到底形容が出来ん。
ことによく日の当る所に暖かそうに、品よく控えているものだから、身体は静粛端正の態度を有するにも関らず、天鵞毛を欺くほどの滑らかな満身の毛は春の光りを反射して風なきにむらむらと微動するごとくに思われる。
吾輩はしばらく恍惚として眺めていたが、やがて我に帰ると同時に、低い声で「三毛子さん三毛子さん」といいながら前足で招いた。
三毛子は「あら先生」と椽を下りる。
赤い首輪につけた鈴がちゃらちゃらと鳴る。
おや正月になったら鈴までつけたな、どうもいい音だと感心している間に、吾輩の傍に来て「あら先生、おめでとう」と尾を左りへ振る。
吾等猫属間で御互に挨拶をするときには尾を棒のごとく立てて、それを左りへぐるりと廻すのである。
町内で吾輩を先生と呼んでくれるのはこの三毛子ばかりである。
吾輩は前回断わった通りまだ名はないのであるが、教師の家にいるものだから三毛子だけは尊敬して先生先生といってくれる。
吾輩も先生と云われて満更悪い心持ちもしないから、はいはいと返事をしている。
「やあおめでとう、大層立派に御化粧が出来ましたね」「ええ去年の暮御師匠さんに買って頂いたの、宜いでしょう」とちゃらちゃら鳴らして見せる。
「なるほど善い音ですな、吾輩などは生れてから、そんな立派なものは見た事がないですよ」「あらいやだ、みんなぶら下げるのよ」とまたちゃらちゃら鳴らす。
「いい音でしょう、あたし嬉しいわ」とちゃらちゃらちゃらちゃら続け様に鳴らす。
「あなたのうちの御師匠さんは大変あなたを可愛がっていると見えますね」と吾身に引きくらべて暗に欣羨の意を洩らす。
三毛子は無邪気なものである「ほんとよ、まるで自分の小供のようよ」とあどけなく笑う。
猫だって笑わないとは限らない。
人間は自分よりほかに笑えるものが無いように思っているのは間違いである。
吾輩が笑うのは鼻の孔を三角にして咽喉仏を震動させて笑うのだから人間にはわからぬはずである。
「一体あなたの所の御主人は何ですか」「あら御主人だって、妙なのね。
御師匠さんだわ。
二絃琴の御師匠さんよ」「それは吾輩も知っていますがね。
その御身分は何なんです。
いずれ昔しは立派な方なんでしょうな」「ええ」
君を待つ間の姫小松……………
障子の内で御師匠さんが二絃琴を弾き出す。
「宜い声でしょう」と三毛子は自慢する。
「宜いようだが、吾輩にはよくわからん。
全体何というものですか」「あれ?
あれは何とかってものよ。
御師匠さんはあれが大好きなの。
……御師匠さんはあれで六十二よ。
随分丈夫だわね」六十二で生きているくらいだから丈夫と云わねばなるまい。
吾輩は「はあ」と返事をした。
少し間が抜けたようだが別に名答も出て来なかったから仕方がない。
「あれでも、もとは身分が大変好かったんだって。
いつでもそうおっしゃるの」「へえ元は何だったんです」「何でも天璋院様の御祐筆の妹の御嫁に行った先きの御っかさんの甥の娘なんだって」「何ですって?
」「あの天璋院様の御祐筆の妹の御嫁にいった……」「なるほど。
少し待って下さい。
天璋院様の妹の御祐筆の……」「あらそうじゃないの、天璋院様の御祐筆の妹の……」「よろしい分りました天璋院様のでしょう」「ええ」「御祐筆のでしょう」「そうよ」「御嫁に行った」「妹の御嫁に行ったですよ」「そうそう間違った。
妹の御嫁に入った先きの」「御っかさんの甥の娘なんですとさ」「御っかさんの甥の娘なんですか」「ええ。
分ったでしょう」「いいえ。
何だか混雑して要領を得ないですよ。
詰るところ天璋院様の何になるんですか」「あなたもよっぽど分らないのね。
だから天璋院様の御祐筆の妹の御嫁に行った先きの御っかさんの甥の娘なんだって、先っきっから言ってるんじゃありませんか」「それはすっかり分っているんですがね」「それが分りさえすればいいんでしょう」「ええ」と仕方がないから降参をした。
吾々は時とすると理詰の虚言を吐かねばならぬ事がある。
障子の中で二絃琴の音がぱったりやむと、御師匠さんの声で「三毛や三毛や御飯だよ」と呼ぶ。
三毛子は嬉しそうに「あら御師匠さんが呼んでいらっしゃるから、私し帰るわ、よくって?
」わるいと云ったって仕方がない。
「それじゃまた遊びにいらっしゃい」と鈴をちゃらちゃら鳴らして庭先までかけて行ったが急に戻って来て「あなた大変色が悪くってよ。
どうかしやしなくって」と心配そうに問いかける。
まさか雑煮を食って踊りを踊ったとも云われないから「何別段の事もありませんが、少し考え事をしたら頭痛がしてね。
あなたと話しでもしたら直るだろうと思って実は出掛けて来たのですよ」「そう。
御大事になさいまし。
さようなら」少しは名残り惜し気に見えた。
これで雑煮の元気もさっぱりと回復した。
いい心持になった。
帰りに例の茶園を通り抜けようと思って霜柱の融けかかったのを踏みつけながら建仁寺の崩れから顔を出すとまた車屋の黒が枯菊の上に背を山にして欠伸をしている。
近頃は黒を見て恐怖するような吾輩ではないが、話しをされると面倒だから知らぬ顔をして行き過ぎようとした。
黒の性質として他が己れを軽侮したと認むるや否や決して黙っていない。
「おい、名なしの権兵衛、近頃じゃ乙う高く留ってるじゃあねえか。
いくら教師の飯を食ったって、そんな高慢ちきな面らあするねえ。
人つけ面白くもねえ」黒は吾輩の有名になったのを、まだ知らんと見える。
説明してやりたいが到底分る奴ではないから、まず一応の挨拶をして出来得る限り早く御免蒙るに若くはないと決心した。
「いや黒君おめでとう。
不相変元気がいいね」と尻尾を立てて左へくるりと廻わす。
黒は尻尾を立てたぎり挨拶もしない。
「何おめでてえ?
正月でおめでたけりゃ、御めえなんざあ年が年中おめでてえ方だろう。
気をつけろい、この吹い子の向う面め」吹い子の向うづらという句は罵詈の言語であるようだが、吾輩には了解が出来なかった。
「ちょっと伺がうが吹い子の向うづらと云うのはどう云う意味かね」「へん、手めえが悪体をつかれてる癖に、その訳を聞きゃ世話あねえ、だから正月野郎だって事よ」正月野郎は詩的であるが、その意味に至ると吹い子の何とかよりも一層不明瞭な文句である。
参考のためちょっと聞いておきたいが、聞いたって明瞭な答弁は得られぬに極まっているから、面と対ったまま無言で立っておった。
いささか手持無沙汰の体である。
すると突然黒のうちの神さんが大きな声を張り揚げて「おや棚へ上げて置いた鮭がない。
大変だ。
またあの黒の畜生が取ったんだよ。
ほんとに憎らしい猫だっちゃありゃあしない。
今に帰って来たら、どうするか見ていやがれ」と怒鳴る。
初春の長閑な空気を無遠慮に震動させて、枝を鳴らさぬ君が御代を大に俗了してしまう。
黒は怒鳴るなら、怒鳴りたいだけ怒鳴っていろと云わぬばかりに横着な顔をして、四角な顋を前へ出しながら、あれを聞いたかと合図をする。
今までは黒との応対で気がつかなかったが、見ると彼の足の下には一切れ二銭三厘に相当する鮭の骨が泥だらけになって転がっている。
「君不相変やってるな」と今までの行き掛りは忘れて、つい感投詞を奉呈した。
黒はそのくらいな事ではなかなか機嫌を直さない。
「何がやってるでえ、この野郎。
しゃけの一切や二切で相変らずたあ何だ。
人を見縊びった事をいうねえ。
憚りながら車屋の黒だあ」と腕まくりの代りに右の前足を逆かに肩の辺まで掻き上げた。
「君が黒君だと云う事は、始めから知ってるさ」「知ってるのに、相変らずやってるたあ何だ。
何だてえ事よ」と熱いのを頻りに吹き懸ける。
人間なら胸倉をとられて小突き廻されるところである。
少々辟易して内心困った事になったなと思っていると、再び例の神さんの大声が聞える。
「ちょいと西川さん、おい西川さんてば、用があるんだよこの人あ。
牛肉を一斤すぐ持って来るんだよ。
いいかい、分ったかい、牛肉の堅くないところを一斤だよ」と牛肉注文の声が四隣の寂寞を破る。
「へん年に一遍牛肉を誂えると思って、いやに大きな声を出しゃあがらあ。
牛肉一斤が隣り近所へ自慢なんだから始末に終えねえ阿魔だ」と黒は嘲りながら四つ足を踏張る。
吾輩は挨拶のしようもないから黙って見ている。
「一斤くらいじゃあ、承知が出来ねえんだが、仕方がねえ、いいから取っときゃ、今に食ってやらあ」と自分のために誂えたもののごとくいう。
「今度は本当の御馳走だ。
結構結構」と吾輩はなるべく彼を帰そうとする。
「御めっちの知った事じゃねえ。
黙っていろ。
うるせえや」と云いながら突然後足で霜柱の崩れた奴を吾輩の頭へばさりと浴びせ掛ける。
吾輩が驚ろいて、からだの泥を払っている間に黒は垣根を潜って、どこかへ姿を隠した。
大方西川の牛を覘に行ったものであろう。
家へ帰ると座敷の中が、いつになく春めいて主人の笑い声さえ陽気に聞える。
はてなと明け放した椽側から上って主人の傍へ寄って見ると見馴れぬ客が来ている。
頭を奇麗に分けて、木綿の紋付の羽織に小倉の袴を着けて至極真面目そうな書生体の男である。
主人の手あぶりの角を見ると春慶塗りの巻煙草入れと並んで越智東風君を紹介致候水島寒月という名刺があるので、この客の名前も、寒月君の友人であるという事も知れた。
主客の対話は途中からであるから前後がよく分らんが、何でも吾輩が前回に紹介した美学者迷亭君の事に関しているらしい。
「それで面白い趣向があるから是非いっしょに来いとおっしゃるので」と客は落ちついて云う。
「何ですか、その西洋料理へ行って午飯を食うのについて趣向があるというのですか」と主人は茶を続ぎ足して客の前へ押しやる。
「さあ、その趣向というのが、その時は私にも分らなかったんですが、いずれあの方の事ですから、何か面白い種があるのだろうと思いまして……」「いっしょに行きましたか、なるほど」「ところが驚いたのです」主人はそれ見たかと云わぬばかりに、膝の上に乗った吾輩の頭をぽかと叩く。
少し痛い。
「また馬鹿な茶番見たような事なんでしょう。
あの男はあれが癖でね」と急にアンドレア・デル・サルト事件を思い出す。
「へへー。
君何か変ったものを食おうじゃないかとおっしゃるので」「何を食いました」「まず献立を見ながらいろいろ料理についての御話しがありました」「誂らえない前にですか」「ええ」「それから」「それから首を捻ってボイの方を御覧になって、どうも変ったものもないようだなとおっしゃるとボイは負けぬ気で鴨のロースか小牛のチャップなどは如何ですと云うと、先生は、そんな月並を食いにわざわざここまで来やしないとおっしゃるんで、ボイは月並という意味が分らんものですから妙な顔をして黙っていましたよ」「そうでしょう」「それから私の方を御向きになって、君仏蘭西や英吉利へ行くと随分天明調や万葉調が食えるんだが、日本じゃどこへ行ったって版で圧したようで、どうも西洋料理へ這入る気がしないと云うような大気※で——全体あの方は洋行なすった事があるのですかな」「何迷亭が洋行なんかするもんですか、そりゃ金もあり、時もあり、行こうと思えばいつでも行かれるんですがね。
大方これから行くつもりのところを、過去に見立てた洒落なんでしょう」と主人は自分ながらうまい事を言ったつもりで誘い出し笑をする。
客はさまで感服した様子もない。
「そうですか、私はまたいつの間に洋行なさったかと思って、つい真面目に拝聴していました。
それに見て来たようになめくじのソップの御話や蛙のシチュの形容をなさるものですから」「そりゃ誰かに聞いたんでしょう、うそをつく事はなかなか名人ですからね」「どうもそうのようで」と花瓶の水仙を眺める。
少しく残念の気色にも取られる。
「じゃ趣向というのは、それなんですね」と主人が念を押す。
「いえそれはほんの冒頭なので、本論はこれからなのです」「ふーん」と主人は好奇的な感投詞を挟む。
「それから、とてもなめくじや蛙は食おうっても食えやしないから、まあトチメンボーくらいなところで負けとく事にしようじゃないか君と御相談なさるものですから、私はつい何の気なしに、それがいいでしょう、といってしまったので」「へー、とちめんぼうは妙ですな」「ええ全く妙なのですが、先生があまり真面目だものですから、つい気がつきませんでした」とあたかも主人に向って麁忽を詫びているように見える。
「それからどうしました」と主人は無頓着に聞く。
客の謝罪には一向同情を表しておらん。
「それからボイにおいトチメンボーを二人前持って来いというと、ボイがメンチボーですかと聞き直しましたが、先生はますます真面目な貌でメンチボーじゃないトチメンボーだと訂正されました」「なある。
そのトチメンボーという料理は一体あるんですか」「さあ私も少しおかしいとは思いましたがいかにも先生が沈着であるし、その上あの通りの西洋通でいらっしゃるし、ことにその時は洋行なすったものと信じ切っていたものですから、私も口を添えてトチメンボーだトチメンボーだとボイに教えてやりました」「ボイはどうしました」「ボイがね、今考えると実に滑稽なんですがね、しばらく思案していましてね、はなはだ御気の毒様ですが今日はトチメンボーは御生憎様でメンチボーなら御二人前すぐに出来ますと云うと、先生は非常に残念な様子で、それじゃせっかくここまで来た甲斐がない。
どうかトチメンボーを都合して食わせてもらう訳には行くまいかと、ボイに二十銭銀貨をやられると、ボイはそれではともかくも料理番と相談して参りましょうと奥へ行きましたよ」「大変トチメンボーが食いたかったと見えますね」「しばらくしてボイが出て来て真に御生憎で、御誂ならこしらえますが少々時間がかかります、と云うと迷亭先生は落ちついたもので、どうせ我々は正月でひまなんだから、少し待って食って行こうじゃないかと云いながらポッケットから葉巻を出してぷかりぷかり吹かし始められたので、私しも仕方がないから、懐から日本新聞を出して読み出しました、するとボイはまた奥へ相談に行きましたよ」「いやに手数が掛りますな」と主人は戦争の通信を読むくらいの意気込で席を前める。
「するとボイがまた出て来て、近頃はトチメンボーの材料が払底で亀屋へ行っても横浜の十五番へ行っても買われませんから当分の間は御生憎様でと気の毒そうに云うと、先生はそりゃ困ったな、せっかく来たのになあと私の方を御覧になってしきりに繰り返さるるので、私も黙っている訳にも参りませんから、どうも遺憾ですな、遺憾極るですなと調子を合せたのです」「ごもっともで」と主人が賛成する。
何がごもっともだか吾輩にはわからん。
「するとボイも気の毒だと見えて、その内材料が参りましたら、どうか願いますってんでしょう。
先生が材料は何を使うかねと問われるとボイはへへへへと笑って返事をしないんです。
材料は日本派の俳人だろうと先生が押し返して聞くとボイはへえさようで、それだものだから近頃は横浜へ行っても買われませんので、まことにお気の毒様と云いましたよ」「アハハハそれが落ちなんですか、こりゃ面白い」と主人はいつになく大きな声で笑う。
膝が揺れて吾輩は落ちかかる。
主人はそれにも頓着なく笑う。
アンドレア・デル・サルトに罹ったのは自分一人でないと云う事を知ったので急に愉快になったものと見える。
「それから二人で表へ出ると、どうだ君うまく行ったろう、橡面坊を種に使ったところが面白かろうと大得意なんです。
敬服の至りですと云って御別れしたようなものの実は午飯の時刻が延びたので大変空腹になって弱りましたよ」「それは御迷惑でしたろう」と主人は始めて同情を表する。
これには吾輩も異存はない。
しばらく話しが途切れて吾輩の咽喉を鳴らす音が主客の耳に入る。
東風君は冷めたくなった茶をぐっと飲み干して「実は今日参りましたのは、少々先生に御願があって参ったので」と改まる。
「はあ、何か御用で」と主人も負けずに済ます。
「御承知の通り、文学美術が好きなものですから……」「結構で」と油を注す。
「同志だけがよりましてせんだってから朗読会というのを組織しまして、毎月一回会合してこの方面の研究をこれから続けたいつもりで、すでに第一回は去年の暮に開いたくらいであります」「ちょっと伺っておきますが、朗読会と云うと何か節奏でも附けて、詩歌文章の類を読むように聞えますが、一体どんな風にやるんです」「まあ初めは古人の作からはじめて、追々は同人の創作なんかもやるつもりです」「古人の作というと白楽天の琵琶行のようなものででもあるんですか」「いいえ」「蕪村の春風馬堤曲の種類ですか」「いいえ」「それじゃ、どんなものをやったんです」「せんだっては近松の心中物をやりました」「近松?
あの浄瑠璃の近松ですか」近松に二人はない。
近松といえば戯曲家の近松に極っている。
それを聞き直す主人はよほど愚だと思っていると、主人は何にも分らずに吾輩の頭を叮嚀に撫でている。
藪睨みから惚れられたと自認している人間もある世の中だからこのくらいの誤謬は決して驚くに足らんと撫でらるるがままにすましていた。
「ええ」と答えて東風子は主人の顔色を窺う。
「それじゃ一人で朗読するのですか、または役割を極めてやるんですか」「役を極めて懸合でやって見ました。
その主意はなるべく作中の人物に同情を持ってその性格を発揮するのを第一として、それに手真似や身振りを添えます。
白はなるべくその時代の人を写し出すのが主で、御嬢さんでも丁稚でも、その人物が出てきたようにやるんです」「じゃ、まあ芝居見たようなものじゃありませんか」「ええ衣装と書割がないくらいなものですな」「失礼ながらうまく行きますか」「まあ第一回としては成功した方だと思います」「それでこの前やったとおっしゃる心中物というと」「その、船頭が御客を乗せて芳原へ行く所なんで」「大変な幕をやりましたな」と教師だけにちょっと首を傾ける。
鼻から吹き出した日の出の煙りが耳を掠めて顔の横手へ廻る。
「なあに、そんなに大変な事もないんです。
登場の人物は御客と、船頭と、花魁と仲居と遣手と見番だけですから」と東風子は平気なものである。
主人は花魁という名をきいてちょっと苦い顔をしたが、仲居、遣手、見番という術語について明瞭の智識がなかったと見えてまず質問を呈出した。
「仲居というのは娼家の下婢にあたるものですかな」「まだよく研究はして見ませんが仲居は茶屋の下女で、遣手というのが女部屋の助役見たようなものだろうと思います」東風子はさっき、その人物が出て来るように仮色を使うと云った癖に遣手や仲居の性格をよく解しておらんらしい。
「なるほど仲居は茶屋に隷属するもので、遣手は娼家に起臥する者ですね。
次に見番と云うのは人間ですかまたは一定の場所を指すのですか、もし人間とすれば男ですか女ですか」「見番は何でも男の人間だと思います」「何を司どっているんですかな」「さあそこまではまだ調べが届いておりません。
その内調べて見ましょう」これで懸合をやった日には頓珍漢なものが出来るだろうと吾輩は主人の顔をちょっと見上げた。
主人は存外真面目である。
「それで朗読家は君のほかにどんな人が加わったんですか」「いろいろおりました。
花魁が法学士のK君でしたが、口髯を生やして、女の甘ったるいせりふを使かうのですからちょっと妙でした。
それにその花魁が癪を起すところがあるので……」「朗読でも癪を起さなくっちゃ、いけないんですか」と主人は心配そうに尋ねる。
「ええとにかく表情が大事ですから」と東風子はどこまでも文芸家の気でいる。
「うまく癪が起りましたか」と主人は警句を吐く。
「癪だけは第一回には、ちと無理でした」と東風子も警句を吐く。
「ところで君は何の役割でした」と主人が聞く。
「私しは船頭」「へー、君が船頭」君にして船頭が務まるものなら僕にも見番くらいはやれると云ったような語気を洩らす。
やがて「船頭は無理でしたか」と御世辞のないところを打ち明ける。
東風子は別段癪に障った様子もない。
やはり沈着な口調で「その船頭でせっかくの催しも竜頭蛇尾に終りました。
実は会場の隣りに女学生が四五人下宿していましてね、それがどうして聞いたものか、その日は朗読会があるという事を、どこかで探知して会場の窓下へ来て傍聴していたものと見えます。
私しが船頭の仮色を使って、ようやく調子づいてこれなら大丈夫と思って得意にやっていると、……つまり身振りがあまり過ぎたのでしょう、今まで耐らえていた女学生が一度にわっと笑いだしたものですから、驚ろいた事も驚ろいたし、極りが悪るい事も悪るいし、それで腰を折られてから、どうしても後がつづけられないので、とうとうそれ限りで散会しました」第一回としては成功だと称する朗読会がこれでは、失敗はどんなものだろうと想像すると笑わずにはいられない。
覚えず咽喉仏がごろごろ鳴る。
主人はいよいよ柔かに頭を撫でてくれる。
人を笑って可愛がられるのはありがたいが、いささか無気味なところもある。
「それは飛んだ事で」と主人は正月早々弔詞を述べている。
「第二回からは、もっと奮発して盛大にやるつもりなので、今日出ましたのも全くそのためで、実は先生にも一つ御入会の上御尽力を仰ぎたいので」「僕にはとても癪なんか起せませんよ」と消極的の主人はすぐに断わりかける。
「いえ、癪などは起していただかんでもよろしいので、ここに賛助員の名簿が」と云いながら紫の風呂敷から大事そうに小菊版の帳面を出す。
「これへどうか御署名の上御捺印を願いたいので」と帳面を主人の膝の前へ開いたまま置く。
見ると現今知名な文学博士、文学士連中の名が行儀よく勢揃をしている。
「はあ賛成員にならん事もありませんが、どんな義務があるのですか」と牡蠣先生は掛念の体に見える。
「義務と申して別段是非願う事もないくらいで、ただ御名前だけを御記入下さって賛成の意さえ御表し被下ればそれで結構です」「そんなら這入ります」と義務のかからぬ事を知るや否や主人は急に気軽になる。
責任さえないと云う事が分っておれば謀叛の連判状へでも名を書き入れますと云う顔付をする。
加之こう知名の学者が名前を列ねている中に姓名だけでも入籍させるのは、今までこんな事に出合った事のない主人にとっては無上の光栄であるから返事の勢のあるのも無理はない。
「ちょっと失敬」と主人は書斎へ印をとりに這入る。
吾輩はぼたりと畳の上へ落ちる。
東風子は菓子皿の中のカステラをつまんで一口に頬張る。
モゴモゴしばらくは苦しそうである。
吾輩は今朝の雑煮事件をちょっと思い出す。
主人が書斎から印形を持って出て来た時は、東風子の胃の中にカステラが落ちついた時であった。
主人は菓子皿のカステラが一切足りなくなった事には気が着かぬらしい。
もし気がつくとすれば第一に疑われるものは吾輩であろう。
東風子が帰ってから、主人が書斎に入って机の上を見ると、いつの間にか迷亭先生の手紙が来ている。
「新年の御慶目出度申納候。
……」
いつになく出が真面目だと主人が思う。
迷亭先生の手紙に真面目なのはほとんどないので、この間などは「其後別に恋着せる婦人も無之、いず方より艶書も参らず、先ず先ず無事に消光罷り在り候間、乍憚御休心可被下候」と云うのが来たくらいである。
それに較べるとこの年始状は例外にも世間的である。
「一寸参堂仕り度候えども、大兄の消極主義に反して、出来得る限り積極的方針を以て、此千古未曾有の新年を迎うる計画故、毎日毎日目の廻る程の多忙、御推察願上候……」
なるほどあの男の事だから正月は遊び廻るのに忙がしいに違いないと、主人は腹の中で迷亭君に同意する。
「昨日は一刻のひまを偸み、東風子にトチメンボーの御馳走を致さんと存じ候処、生憎材料払底の為め其意を果さず、遺憾千万に存候。
……」
そろそろ例の通りになって来たと主人は無言で微笑する。
「明日は某男爵の歌留多会、明後日は審美学協会の新年宴会、其明日は鳥部教授歓迎会、其又明日は……」
うるさいなと、主人は読みとばす。
「右の如く謡曲会、俳句会、短歌会、新体詩会等、会の連発にて当分の間は、のべつ幕無しに出勤致し候為め、不得已賀状を以て拝趨の礼に易え候段不悪御宥恕被下度候。
……」
別段くるにも及ばんさと、主人は手紙に返事をする。
「今度御光来の節は久し振りにて晩餐でも供し度心得に御座候。
寒厨何の珍味も無之候えども、せめてはトチメンボーでもと只今より心掛居候。
……」
まだトチメンボーを振り廻している。
失敬なと主人はちょっとむっとする。
「然しトチメンボーは近頃材料払底の為め、ことに依ると間に合い兼候も計りがたきにつき、其節は孔雀の舌でも御風味に入れ可申候。
……」
両天秤をかけたなと主人は、あとが読みたくなる。
「御承知の通り孔雀一羽につき、舌肉の分量は小指の半ばにも足らぬ程故健啖なる大兄の胃嚢を充たす為には……」
うそをつけと主人は打ち遣ったようにいう。
「是非共二三十羽の孔雀を捕獲致さざる可らずと存候。
然る所孔雀は動物園、浅草花屋敷等には、ちらほら見受け候えども、普通の鳥屋抔には一向見当り不申、苦心此事に御座候。
……」
独りで勝手に苦心しているのじゃないかと主人は毫も感謝の意を表しない。
「此孔雀の舌の料理は往昔羅馬全盛の砌り、一時非常に流行致し候ものにて、豪奢風流の極度と平生よりひそかに食指を動かし居候次第御諒察可被下候。
……」
何が御諒察だ、馬鹿なと主人はすこぶる冷淡である。
「降って十六七世紀の頃迄は全欧を通じて孔雀は宴席に欠くべからざる好味と相成居候。
レスター伯がエリザベス女皇をケニルウォースに招待致し候節も慥か孔雀を使用致し候様記憶致候。
有名なるレンブラントが画き候饗宴の図にも孔雀が尾を広げたる儘卓上に横わり居り候……」
孔雀の料理史をかくくらいなら、そんなに多忙でもなさそうだと不平をこぼす。
「とにかく近頃の如く御馳走の食べ続けにては、さすがの小生も遠からぬうちに大兄の如く胃弱と相成るは必定……」
大兄のごとくは余計だ。
何も僕を胃弱の標準にしなくても済むと主人はつぶやいた。
「歴史家の説によれば羅馬人は日に二度三度も宴会を開き候由。
日に二度も三度も方丈の食饌に就き候えば如何なる健胃の人にても消化機能に不調を醸すべく、従って自然は大兄の如く……」
また大兄のごとくか、失敬な。